ヤオ族の刺しゅう
約2000年前の中国南部に起源を持つと言われるヤオ族は精霊と祖霊を信じるアニミズムと中国で学んだ道教の教えの二つの信仰からヤオ族独自の信仰を持っています。古来ヤオ族の宗教上白い布と糸は重要な意味がありました。白い布は祭祀の時にはなくてはならないものであり、「刺しゅう糸」「糸」は現世と魂の世界を結び付け意思を伝達させることが出来ると考えられていました。
ヤオ族の女性は結婚前の1年間で自分と母、姑となる人、夫となる人の衣装をそろえなければならないとされています。昔、他の村やふもとの社会との行き来がなかった時代は、綿を植え、糸を紡ぎ、草木で染め、布を織り、刺しゅうをして衣装を作っていいたと言います。
女性にとって刺しゅうをすることは、家族の「衣」を整えることでした。昔はそれ以外の衣装がなかったので、毎日、農作業の時も、寝るときも着用していました。女性たちは日中は農作業に精を出し、手元に絶えず刺しゅうの道具や材料を持って、少しでも空き時間があると刺しゅうに精を出していました。美しい刺しゅうのパンツを作り身に着けることは女性たちの誇りでもあったのです。
パンツと同じように大切なものは頭を覆う頭布です。赤ん坊が生まれた時から先祖の霊があの世に戻してしまわないように、また幼い子を悪霊から守る為に帽子を作ってかぶせます。髪の毛を他人に見せるべきではないとの昔からの教えで、少女の時から帽子に替えて頭を頭布で巻くのが当たり前でした。この頭布にも刺しゅうがほどこされます。 刺しゅうする対象は女性のパンツや頭布だけでなく、祭祀用、婚礼用の衣装、子ども用の衣服、男性用の帯などです。
今では民族衣装を日常生活で着る人はほとんど見かけなくなりましたが、お正月や婚礼、地域の行事などの特別な時には豪華で鮮やかな衣装で盛装した女性たちを見ることができます。また、村々では日常的に頭に頭布を巻いた年配女性の姿が見かけられ、民族の伝統を守っていきたいという人々の思いを感じます。
刺しゅうの模様と技術
ヤオ族の刺しゅうの模様は日常生活や宗教上から特別な意味を持つものだと言われてきましたが、現代の女性たちはあまりその意味や名称にこだわらず刺繍をしているようです。「綺麗だから」、「みんながしているから」、単純にそんな理由で模様を決めているようです。
模様には「トラの皮」「トラの爪」「銀の花」「かぼちゃの花」「ミズスマシ」「お寺の屋根の先頭」等々あり、その名前を見ると生活に密着してものであることが想像できます。 女の子は8歳頃になると祖母や母親から技術を伝えられ少しずつ難度の高い刺しゅうが出来るようになります。みんなそれぞれ刺しゅうの図案見本を持っていますが、元々それは女性たちの頭の中にあり、技術を人から人へ口頭で伝承していきます。
■ 刺しゅうの方法 ■- 織り刺し
(チョンジアム) - 一番古い刺し方で布の地糸をすくって刺しゅう糸が平行になるように模様を刺していく方法。現在ではできる人が少なくなっています。
- 格子刺し
(チョンティウ) - 地布の偉糸と経糸をすくってレースのように見える模様を作っていく刺し方。こちらも出来る人は限られています。
- *織り刺し、格子刺しの技術はタイ語では「ラーイソーッ」と言われます。
- クロスステッチ
(ヤッ) - 儀礼用の布にだけ使われて厳しい制約があって決して女性用のパンツには使われませんでしたが、現在では華やかに見え、丈夫なので織り刺しと格子刺しに代わって使われるようになっています。
- ステムステッチ
(ギウギウ) - 刺しゅう模様の段と段に入れる直線のラインに使います。普通、黄色、赤色、白色の3色で刺します。
現在、ヤオ族の村に残っている女性たちは刺しゅうができますが、村を出て都会に働きに行ったり、移住する人も多くなり、そういった女性は次第に刺繍をしなくなりました。40代、50代の女性たちは「私たちの代で刺しゅうは終わるだろうね」と言っています。<参照:アン・ゴールドマン著、坂口里香訳「ヤオ族の刺しゅう」*文様に込められた祈りと移住の物語*>